TAMのブログ

長文を書きたいとき用に

芹沢あさひが好きだ。

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こんにちは。
4月1日から芹沢あさひPになりました、TAMと申します。

 

シャニマスの新アイドルが俺の好みをどストライクで突いてくるもんだから完全にやられてしまった。負けを認めざるを得ない。

芹沢あさひに対して語りたいことは山ほどあるが、今回はやや客観的に「芹沢あさひのシナリオがいかに良かったか」みたいな所を書こうと思う。
限界オタクの叫びみたいなのを期待してる人はすいません。

 
※芹沢あさひのWING編シナリオに関するネタバレを含みます※

もくじ

  

「現実味のある天才」芹沢あさひ

シャニマスのストーリーやコミュが良いという話はあらゆる所でなされているが、その要因の1つとして「リアリティ」があると思う。 
ここで言うリアリティは「現実にもこういう人いるよね~」という類のものではなくて、「この子ならこの場所でこういうふうに思うだろう・こういう行動をするだろう」という「描写の説得力」という意味であり、言うなればキャラクターの「生きている感じ」である。2.5次元的であるアイドルマスターの展開とも相まって、まるでアイドルの世界が現実のものであるかのような錯覚を度々感じられるところに、シャニマスのコミュが評価される理由があると思う。

翻って、芹沢あさひのことを考えてみよう。彼女はいわゆる「天才肌」と呼ばれるタイプの人間として描写される。

 

創作において、「天才」と呼ばれるキャラクターは数多く存在する。ただ、それらのキャラクターの多くはいわゆる「記号的な天才」にとどまっていて、現実感のある天才というのは決して多くはない。
記号的な天才というのは、例えばそれっぽい専門用語を多用したり、パソコンやデータで分析しようとしたり、精度の高い計算を瞬時にこなしたり、テストやゲームを一瞬で終わらせたり、といったものである。そしてピンチに陥ると「俺の計算は完璧なはず…!」とか言ったりするのがお決まりである。
こういう「天才」の描写を批判したいわけではない。記号的な天才であることは、それはそれで創作上のプラスの効果をもたらすことも多いし、それ自体にはいいも悪いもない。ここで言いたいのは、創作における天才キャラというのは大変ありふれている属性の一つではあるものの、「現実味のある天才」を描写するのはとても大変なものであり、それが実現できている創作は決して多くはないということだ。安易な描写では「本物らしさ」はあっという間に消え失せてしまい、記号的・マンガ的な天才に成り下がってしまうのである。

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「記号的な天才」の一例(彼女や彼女のファンを悪く言う意図は微塵もありません)

そこでシャニマスである。先ほども述べた通りシャニマスは「リアリティ」こそがその魅力の一つであり、「天才」を描くのであれば「現実味のある天才」でなければならない。シャニマスで天才であるためには、天才としての描写に説得力がなければならないのである。

 

そして、結果としてシャニマスにおける芹沢あさひというアイドルは、その厳しいハードルを見事に乗り越えている。彼女のパーソナリティやプロデューサーの関わり方を緻密に書き込むことによって、「現実味のある天才」を描くことに成功しているのである。

一例として、芹沢あさひのW.I.N.G.のシナリオを通して描写される「見たダンスを完璧に再現することに異常なこだわりを見せる描写」がある。シナリオ冒頭では、テレビで一度見ただけのダンスを再現する描写があり、これだけを見るとマンガ的な天才描写にとどまってしまう。しかし、その後のシナリオにて、彼女が他人の評価よりも自分が納得できるかどうかをとても重視していること、彼女がダンスを再現することに異常にこだわりがあることを複数回にわたって描写することで、彼女が冒頭で見せたダンスが唐突に出てきたものではなく、彼女の性格から自然と出てきたものであることを暗に示している。天才描写に説得力を持たせることに成功している一例である。

また、緻密な描写は彼女本人の描写にとどまらない。プロデューサーは、彼女に対して「すごい才能の持ち主なのかも」といった表現をすることはあるものの、シナリオ上で「天才」という直接的な表現で彼女を形容することは一度もない。公式サイトにおける彼女のプロフィールでも、「天才」という言葉は一度も登場しない。
芹沢あさひを作中で天才と呼んでしまえば、その現実味は一気に失われてしまうだろう。「天才」という言葉でカテゴライズされた人間ほど、実際の天才から程遠いものはない。
プロデューサーは彼女のことを「天才」というステレオタイプではなく、あくまで一人の人間として見ている。些細なことではあるが、これも天才キャラをリアルに描くための工夫の一つであると思う。

 

ただ前述したように、現実味のある天才の描写というのは一つのミスで簡単に崩れてしまうものであるり、逆に言えば数々のそれらしい描写の積み重ねがあってこそ「現実味」というものは生まれてくる。したがって、ここで具体例を挙げて「芹沢あさひのこういう描写に現実味がある」という風に語ることは原理上不可能である。多分上の例でもあまりピンときてない人の方が多いであろう。
実際にみなさんの手で彼女をプロデュースして頂くのが一番早いと思う。彼女の「天才らしさ」を、皆さんも肌で感じてほしい。

 

芹沢あさひと発達障害について

(筆者は発達障害だと診断されたことは無いし、近しい関係にそういった人物がいたりする訳ではないことは先に断っておきます)

芹沢あさひという女の子を形容するにあたって、どうしても無視することのできないワードのひとつに発達障害がある。

複数のPから、彼女にはいわゆる発達障害、特にADHD的な傾向があるという指摘がなされている。 一人のツイートを引用させていただく。

筆者もこれに関しては正直同意せざるを得ないと思っていて、彼女がそういった傾向を持っている、そのように意図的に描写されていることは明らかなのである。上の例の他にも、

・ダンスの細かい動作に異常にこだわる
・何かにのめり込むと周りが見えなくなる
マルチタスクができない
・感情や思考の言語化が苦手
・他人に興味がない(他人のすることにしか興味がない)
・天気が良いだけで妙にテンションが上がる

など、例を挙げればキリがない。前述したシャニマスの「リアリティ」とも関連するが、こういった発達障害の特徴を持っている子」の描写があまりにもリアルなのである。はっきり言って「そういう風に取れないこともない」とかのレベルではない。見る人が見れば一発で分かるレベルである。

 

ただ、彼女を見て「発達障害ってこんな子なんだ」となるのは非常に危険であるということは申し添えておく。
相当にリアルな描写であるとはいえ、あくまで彼女の描写は創作として成立するようなものである。知らない人から見ればちょっと天然寄りとか、普通に面白い子として見れるようになっているし、見ていて不快にならないよう、発達障害の人物として特徴的な行動でありつつも、彼女の「個性」として一般人が違和感を持たず見れるように描写されている。この描写のバランス感覚もシャニマスのシナリオの凄い所ではあるのだが、一方で現実の発達障害に対する理解の助けとは必ずしもならないことは留意すべきであろう(もちろん、発達障害のことを知るきっかけとすることは問題ないと思うが)。

 

またこれは逆に言えば、彼女を無理にそういう目で見る必要はないということでもあると思う。そういう目で見なくとも彼女は面白いし、彼女のW.I.N.G.シナリオはとても面白い。
ここまで書いておいてなんだが、正直「彼女は発達障害なのか」という議論は全くもって意味がないと思っている。創作というものは世に出ている以上それをどう解釈しようが見る人の勝手であるから、彼女を発達障害だと思う人はそういう目で見ればいいと思うし、そうではないと思う人、そういう目で見たくない人はそういう風に見なければいいだけの話である。また、そういった点を強調して、あるいはオミットして二次創作などをするのも自由であると思う。
発達障害」という観点が、その人が芹沢あさひという女の子を理解するための一つの手助けとして機能しているのであれば、それは全然構わないと思う。逆に、発達障害について詳しく知らないのであれば、彼女を理解する上でそういう事を無理に知る必要はまったくない。ただ単に彼女を見ていればよいのである。

 

芹沢あさひを「プロデュースする」ということ

自分が感動したのは、芹沢あさひという女の子の描かれ方だけではない。W.I.N.G.シナリオにおけるストーリーも、自分が彼女を担当する大きなきっかけだった。なのでそれについても書こうと思う。

 

W.I.N.G編において、プロデューサーは彼女を導く存在となる。そして、それは決して簡単なことではない。

天才とか発達障害といった事は抜きにしても、彼女は少し普通の人と変わった所がある。
また、興味を持ったことには一直線で、何かに熱中すると周りが見えなくなってしまう事がある。

そんな彼女は、街頭のテレビで見たアイドルのダンスと、プロデューサーにスカウトされた事をきっかけに、アイドルの世界にのめり込んでいく。「ドキドキ」「キラキラ」を求めて、時には自分の身体すらも顧みず、彼女は一人でどこまでも突っ走っていこうとする。恐らく彼女一人では、どこかで身体をぶっ壊していただろう。

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そんな彼女に対してプロデューサーは、暴走しかけた時には諫めつつも、彼女のことを決して否定することはない。彼女のやりたい事に逆らおうとはせず、彼女の気持ちを尊重する。日常のふれ合いにおいても、彼女の考えること、やる事を否定せず、そこにうまく乗っかっていってやることで、彼女とうまくコミュニケーションを取っていく。
そうすることで、彼女はアイドルへの興味を失わず、持ち前のポテンシャルを存分に生かし、正しい方向でアイドルとして成長していくのである。

 

恐らく、プロデューサーは彼女の思考回路を理解できているかというと決してそうではない。
だが、彼女と一人の女の子として向き合い、彼女をアイドルとして成長させるためにどう接するべきかを真剣に考えた結果が、あのプロデュースなんだろうなと思う。

そして、そのプロデュースが、結果として彼女を救うことへと繋がる。

WING優勝後のコミュにおいて、彼女は「ずっと一人ぼっちだった」ことを明らかにする。

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彼女が孤独であったことは、彼女の行動を見ていれば想像するのは難しくない。
人懐っこい性格である彼女だが、一方で彼女の思考や行動についていける人間は周りにほとんどいなかったのだろう。人との関わりを持ちたくて、自分の気持ちを誰かと共有したくて、積極的に接しようとする彼女に対し、周りの人は最初は面白がりつつも、彼女のことを理解できず、次第に距離を置いていったのではないかと思う。

14歳という年齢がまた絶妙である。中学2年生という年齢は、自身が周りに理解されづらい存在であることを自覚し始めるギリギリの時期だと思う。あと1年遅ければ、彼女は完全に心を閉ざし、独りの世界に閉じこもってしまっていただろう。

 

しかし、彼女はそこでプロデューサーと出会う。

プロデューサーは、彼女を導く存在として、彼女に寄り添っていく。プロデューサーの行動は、あくまで彼女をプロデュースするためのものであるのだが、それが結果として芹沢あさひという存在を受け入れることになる。そして、それが彼女にはたまらなく嬉しかった。友人でも教師でも親でもなく、プロデューサーという存在によって、彼女は孤独から解放されたのだ

自分と一緒に歩いてくれる、自分と一緒に喜んでくれる存在と出会うことで、彼女は孤独から抜け出すと同時に、アイドルというものに対して、ますますのめり込んでいく。
彼女の思考・行動を否定せず、彼女に一人の女の子として向き合うことが、彼女をアイドルとしてプロデュースする最高の手段であったと同時に、結果としてプロデューサーが彼女の心の拠り所となり、彼女を孤独から救う手段となったのである。

 

おわりに

彼女については、ツイッターで書き殴るだけではなく、どこかに書き残しておく必要があるなと思ったのでこの記事を書いた。
全部ではないが、今の時点で思っている事はおおよそ書けたかなと思う。

 

彼女に限らず、シャニマスに登場するアイドルたちは、いわゆる属性とか記号だけで見ることのできない子たちだなと常々感じている。
安易な描写に逃げず、一人一人のアイドルをしっかり描き込む。そうして生まれてくる彼女らの唯一性こそが、アイドルたちの、そしてシャニマスの大きな魅力だと思う。

芹沢あさひという女の子も、きっと「天才」とか「発達障害」とかいう言葉だけで彼女を見ると、損をする。
彼女を一人の女の子として知っていくことが、彼女の魅力を知るための近道であり、彼女をプロデュースするということでもあるのかなと思う。

 

最後まで読んでくれた読者の皆さんも、改めてぜひ彼女を「プロデュース」して欲しい。

 

 

あとがき

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歯を見せて笑うのが最高にかわいい。